【青森旅行】三内丸山遺跡 Sannai Maruyama Site

三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)は縄文時代前期中頃から中期にかけて(紀元前約3,900~2,200年、現在から5,900年~4,200年前)存在した大きな集落の跡です。

1992年に始まった調査で見つかったものなので、歴史の教科書は、この遺跡により、かなりアップデートされたのでは?

縄文時代といえば、氷河期が終わり、氷が溶けて海の水が増えたことにより、日本は大陸と切り離され、日本列島ができた頃。

私は、歴史の授業では、縄文土器、土偶、竪穴住居などを教科書の写真を見ながら学びました。

現在のお子さんたちは、縄文時代の代表的そして最大規模の遺跡である三内丸山遺跡などを訪れたり、動画やホームページを見たりして、学べるのかと思うとうらやましいです。

さて、三内丸山遺跡は、青森駅からバスで約30分、新青森駅から約15分のところにあります。




大型竪穴建物(左)と大型高床建物(右)は、見つかった建物跡から復元したものです。

このようなものが建てられていたのでは?と考えられています。用途の本当のところはわからないので、諸説あるようです。勝手に想像するのもおもしろいですよね。

左側の建物は、集会所、共同作業所、共同住宅などの説があります。


およそ5000年前に、すでに土器を作り、コミュニティで暮らしていたのですね。

そして大人の墓とは別に、子どもの墓がありました。子どもの墓は日常に使われていた土器に穴が空いたものに入れられて、集落内のある場所に葬られていたようです。当時は寿命が短く、また生まれてすぐに亡くなる子も多かったようです。穴の意味はわかりませんが、4,5千年前の人たちが、悲しみ、祈るような気持ちで亡くなった子を葬ったのかと思うと、切なくなりました。また、そんなに昔から厳しい自然環境を生きてきた人たちの命が自分につながっているのかと思うと、命を大切にしないとならないという気持ちが強くなりました。




 

平べったい土偶

「三内丸山とヒスイ」という特別展をやっていました。


縄文時代から人々は広範囲に移動して交流していたようですね!


すごく時間をかけて穴を開けて装飾品を作ったようです。

2泊3日の青森旅行 Aomori Trip (2023年4月)1日目  First Day
のっけ丼 Nokkedon
八甲田丸 Hakkodamaru
三内丸山遺跡  Sannai Maruyama Site  ← ここ here
弘前公園

2日目  Second Day
弘前公園
虹のマート
ぶるまん
浅虫温泉

3日目  Third Day
八甲田ロープウェイ
酸ヶ湯温泉
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ABOUTこの記事をかいた人

著者。特許翻訳者。ユダヤ人富豪の義父に学び、自らも7億円の不動産資産を築いた不動産投資家という顔も持つ。 東京都出身。外資系メーカー、シティバンク勤務を経て、イスラエル国籍のユダヤ人と結婚。子ども二人に恵まれるも離婚。在宅で翻訳の仕事をフリーランスとしてしながら、シングルマザーとして子ども達を育てた。東欧からの移民の子で、14歳から働き、資産ゼロから財産を築いたユダヤ人の義父からは不動産投資を学び、投資物件(7億円)などの資産を築いた。著書に『ユダヤ人と結婚して20年後にわかった金銀銅の法則50』『ユダヤ人大富豪に学ぶ お金持ちの習慣』『貧困OLから資産6億をつかんだ金持ち母さんの方法』『お金の不安から自由になって幸せな女になる』がある。