縄文時代といえば、氷河期が終わり、氷が溶けて海の水が増えたことにより、日本は大陸と切り離され、日本列島ができた頃。
私は、歴史の授業では、縄文土器、土偶、竪穴住居などを教科書の写真を見ながら学びました。
現在のお子さんたちは、縄文時代の代表的そして最大規模の遺跡である三内丸山遺跡などを訪れたり、動画やホームページを見たりして、学べるのかと思うとうらやましいです。
さて、三内丸山遺跡は、青森駅からバスで約30分、新青森駅から約15分のところにあります。
大型竪穴建物(左)と大型高床建物(右)は、見つかった建物跡から復元したものです。
このようなものが建てられていたのでは?と考えられています。用途の本当のところはわからないので、諸説あるようです。勝手に想像するのもおもしろいですよね。
左側の建物は、集会所、共同作業所、共同住宅などの説があります。
およそ5000年前に、すでに土器を作り、コミュニティで暮らしていたのですね。
そして大人の墓とは別に、子どもの墓がありました。子どもの墓は日常に使われていた土器に穴が空いたものに入れられて、集落内のある場所に葬られていたようです。当時は寿命が短く、また生まれてすぐに亡くなる子も多かったようです。穴の意味はわかりませんが、4,5千年前の人たちが、悲しみ、祈るような気持ちで亡くなった子を葬ったのかと思うと、切なくなりました。また、そんなに昔から厳しい自然環境を生きてきた人たちの命が自分につながっているのかと思うと、命を大切にしないとならないという気持ちが強くなりました。
平べったい土偶
「三内丸山とヒスイ」という特別展をやっていました。
縄文時代から人々は広範囲に移動して交流していたようですね!
すごく時間をかけて穴を開けて装飾品を作ったようです。