本『私の生活流儀』

こんにちは! 星野陽子です(自己紹介)。

本多静六氏の『私の生活流儀』を読みました。最近読んだ本の中で最も感化されました。

著者の本多静六氏について

アマゾンの「著者について」を引用します。

本多 静六(ほんだ・せいろく)
1866(慶応2)年、埼玉県生まれ。苦学の末、1884(明治17)年に東京山林学校に入学。一度は落第するも猛勉強して首席で卒業。その後、ドイツに私費留学してミュンヘン大学で国家経済学博士号を得る。1892(明治25)年、東京農科大学(現在の東大農学部)の助教授となり、「月給4分の1天引き貯金」と1日1頁の原稿執筆を開始。研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍、日比谷公園の設計や明治神宮の造林など大きな業績を残すだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築く。
1927(昭和2)年の停年退官を期に、全財産を匿名で寄付。その後も「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け、370冊余りの著作を残した。1952(昭和27)年1月、85歳で逝去。

私の財産告白』は以前読んだことがあり、先に貯金して残りで生活することの大切さを学びました。

今回読んだ『私の生活流儀』では、「健康長寿法」、「暮らし方・考え方」、そして、「だれにでもできる平凡利殖法」などが書いてあります。

『私の生活流儀』の方が、
「もうあくせく働かなくてもいいのかも」
「アーリーリタイアしてもいいのかも」
などと思っている私に響きました。

というか、「120歳まで生き、最後まで働き通せ」と活を入れられた気がします。

本多氏は大成功している人なのに謙虚で、威張ったり、押し付けたりしないので、素直に話を聞けます。書かれていることは全然古くない、むしろ、今の時代に合っているかと思います。

健康長寿

健康長寿に関しては、当時86歳で、とても元気であったことから、説得力があります。そして120歳まで生きられると思っていて、「健康長寿の欲張りは、やはり一つの、健康長寿の基でもあるのだ」と書いています。

私は「自分はそんなに長く生きなくても」と考えていたところがありますが、120歳まで元気に生きると欲張って考えてもいいのかも、と思いました。120歳まで生きるのであれば、まだ半分も生きていないわけで……。

「生活白書」16項目が書かれていて、健康長寿のヒントとなっています。

間食をしないでお腹を空かせて3度の食事をとりますが、腹八分を心がけ、老年期に入ってからは、酒、肉類、卵などを極度に節し、「ホルモン漬」(新鮮な葉菜類の塩漬)を常用としていました。

「私の肉体は、百二十まで生きると頑張っても、いつかは滅び去るであろうが、私の思想と事業は、永劫につたわり、永久に生き残ると信じて、最後まで働き通そうと決意したのである」と書かれていますが、その通りで、公園や著書がずっと残っています。そんな生き方、素敵ですね!

英国の名医フーカーの「不労長寿法」というものは、「生活白書」16項目とだいたい一致しています。

暮らし方・考え方

「暮らし方・考え方」の第一条は、いいことだと思ったら、ただちに実践にうつす、ということ。どんなに小さなこと、つまらないことでも、少しでもいいことだったら実行していかねばならないのです。

本多氏は、買い物は「買ったつもり」にして買わずにお店に預けておくことにし、そのものが必要にならなくなるまで、貯金をしました。娘さんたち三人が結婚するときも、結婚式の服と行李一個を渡しただけで、後は「買ったつもり」にし、貯金帳で持たせたとか。「お父さんひどい」と言われたものの、後には「あれはホントウによろしゅうございました」と感謝されたそうです。

私も結婚してから倹約を覚えましたが、あれは本当によろしゅうございました(笑)。

家の建て方や、他人とのお付き合いの仕方なども大きくうなずくことばかり。

いくつも真似しようと思うことがありますが、もっとも真似したいのは手帳に書き留めておくこと。

人間の知識や考案等は小鳥のようなもので、目の前、頭の中に飛んできたとき、さっと捉えて籠の中に入れておかぬと、過ぎ去ったが最後、もはや自分のものとすることはなかなか難しい。そこで思い付いたその折々に、電車の中でも、夜着の裾での、必ず要点だけでも書き留めておく必要がある。思うに、人生にはこうした断片的な知識の集積がきわめて大切なもので、名案妙策の多くも、こうした瞬間的な閃きから生まれてくるのである。

「三百七十余種の著述も、幾千回に及ぶ演説講演の資料も、実はみなこの小さな手帳から生まれてきたものといっても差し支えない」と書かれています。

勉強法や旅行法なども真似をしたいことがたくさんです。

だれにもできる平凡利殖法

「だれにもできる平凡利殖法」は次の三つです。

本多流の致富奥義はしごく平凡だ。だれにもやれる。まただれにもやってもらいたいと思う。
第一に、常に、収入の四分の一を天引き貯金すること。
第二に、いくらか貯まったところで、巧みに投資に回すこと。
第三に、ムリをしないで最善を尽くし、辛抱強く時節の到来を待つこと。

貯金はだれにでもやれるかもしれませんが、「巧みに投資」というところは、本多氏も「「巧みなる」というところがなかなか難しい」としながら、株式投資法や、不動産投資によって、資産を増やした方法を書かれています。

亡くなっている方ですが、メンターとしたい! 本を何度も読んで、学んだことを実践していきたいと思います。

ABOUTこの記事をかいた人

著者。特許翻訳者。ユダヤ人富豪の義父に学び、自らも7億円の不動産資産を築いた不動産投資家という顔も持つ。 東京都出身。外資系メーカー、シティバンク勤務を経て、イスラエル国籍のユダヤ人と結婚。子ども二人に恵まれるも離婚。在宅で翻訳の仕事をフリーランスとしてしながら、シングルマザーとして子ども達を育てた。東欧からの移民の子で、14歳から働き、資産ゼロから財産を築いたユダヤ人の義父からは不動産投資を学び、投資物件(7億円)などの資産を築いた。著書に『ユダヤ人と結婚して20年後にわかった金銀銅の法則50』『ユダヤ人大富豪に学ぶ お金持ちの習慣』『貧困OLから資産6億をつかんだ金持ち母さんの方法』『お金の不安から自由になって幸せな女になる』がある。