宮沢賢治記念館と『銀河鉄道の父』

こんにちは! 星野陽子です(自己紹介)。

2023年1月16日、岩手県花巻市にある宮沢賢治記念館に行ってきました。新幹線の新花巻駅から路線バスで10分もかからないところにありますが、路線バスの本数が少ないです。

バスを降りる時に土沢線バス利用者証というのをもらいました。それを提示すれば
宮沢賢治記念館など5つの施設すべてに無料で入場できるとのこと。150円の乗車賃で申し訳ない感じですね。

バス停でキョロキョロすると宮沢賢治記念館と書かれた階段を見つけました。

この階段、367段ありますよ💦 誰もいないのが不安です……。

ひ~、大変でした。階段を登り切ったところにレストランがありますが、お休み中のようでした。

長い階段を上った甲斐がありました。景色がいいです!

雪が心配でしたが、歩くのに困ることはありませんでした。

宮沢賢治は大変な時代に生きていたのですね。当時の寿命は50歳ぐらいでしたでしょうか。今ではほぼ亡くならない結核などの病気で亡くなる人が少なくなかったのです。

驚いたのは、宮沢賢治の家は裕福であったということ!

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
……
という詩が有名ですが、私は、宮沢賢治は農業をして、貧しく、つらい農作業の合間や夜に、自然に癒されたり、空の星をながめたりして、創作したと思い込んでいたのです。

賢治は父親の正次郎に、幾度となくお金の無心をしたり(遊ぶためではなく賢治なりに必要なお金ですが)、家業を継がないと言ったり、進学をさせてもらったり、病気の看病をしてもらったり(そのせいで父親は生涯胃腸が弱くなりました)、改宗を迫ったり、改宗を断られると家出したりしたそうです。

当時は大黒柱となる男性が人の看病をするのは世間体が悪かったようですが、つきっきりで賢治の看病をするなど、父親は愛情深い人だったようです。それなのに賢治に先立たれてしまったので、さぞやつらかったのではないかと同情しました。

また大家族を養ったのも簡単なことではなかったはずです。

私は不動産投資をするうちに、親から多額の現金や不動産を受け継いでいる、いわゆるお金持ちの家に育った子どもたちに会う機会が増えました。

そういう人たちの中には、お金の大切さや、お金を稼ぐ大変さを知らずに、親から受け継いだお金を浪費をしたり、安易に投資をして、あっという間に損をしてしまう人たちがいました。親は苦労してお金を貯めて、子どもたちにお金を残したはずなので、親の気持ちを思うと切なくなります。

私の家は裕福ではなかったので、裕福な家の子を妬む気持ちもあるので、なおさら「苦労して貯めた親のお金を大切にして欲しい」と思ってしまいます。

私は父親に興味を持っていつか調べてみようと思っていると、YouTubeかなにかを見ていたときに『銀河鉄道の父』という映画が2023年のゴールデンウィークに公開されるという動画を目にしました(宮沢賢治で何度か検索していたので、Googleさんがおしえてくれたのでしょう)。これは楽しみです。

映画は門井慶喜氏の『銀河鉄道の父』が原作とのことで、さっそく読みました。

おもしろくて、一日かけて一気に読んでしまいました! 宮沢賢治は、順風満帆に童話作家になったわけではなく、生き方を模索していました。死後に作品が認められたので、本人はもしかしたら達成感を得ずに亡くなってしまったかもしれません。

お金がなければ有無を言わずに働かなくてはなりません。でもお金を出してくれる親がいれば、xxの仕事をするために勉強をしてみようとか、選択肢が多くなり、それはそれで辛く感じる人もいます。与えられた環境で、自分が幸せに感じる選択をするのが楽な生き方なのかなと思います。

おまけ
花巻温泉南斜花壇跡

宮沢賢治は花壇の設計もしていました。雪が積もっていましたが、バラが咲く季節はきれいかと思います。

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ABOUTこの記事をかいた人

著者。特許翻訳者。ユダヤ人富豪の義父に学び、自らも7億円の不動産資産を築いた不動産投資家という顔も持つ。 東京都出身。外資系メーカー、シティバンク勤務を経て、イスラエル国籍のユダヤ人と結婚。子ども二人に恵まれるも離婚。在宅で翻訳の仕事をフリーランスとしてしながら、シングルマザーとして子ども達を育てた。東欧からの移民の子で、14歳から働き、資産ゼロから財産を築いたユダヤ人の義父からは不動産投資を学び、投資物件(7億円)などの資産を築いた。著書に『ユダヤ人と結婚して20年後にわかった金銀銅の法則50』『ユダヤ人大富豪に学ぶ お金持ちの習慣』『貧困OLから資産6億をつかんだ金持ち母さんの方法』『お金の不安から自由になって幸せな女になる』がある。