利尻町郷土資料館@利尻島

利尻町郷土資料館は、かつての鬼脇村役場。レトロな歴史的建造物ですね。

利尻島は、1800年頃にはロシアからの襲撃を受けることがあったので、幕府から会津藩士ら252名が利尻に派遣され、北方警備をしていました。

1912年 (明治45年)には、海を泳ぎ渡ってきたヒグマが捕殺されました。

1913年(大正2年) 資料館鬼脇村役場庁舎新築(現・利尻島郷土資料館)。

1915年(大正4年) この年の利尻郡のニシン漁獲高が10万トンを超える。ニシンで村は栄え、出稼ぎに来る人たちもいたようです。

1955年(昭和30年) 鬼脇港のニシンの汲み入れ(昭和20年代?)。この年を境にニシンが獲れなくなる。

2018年5月 利尻富士町鬼脇沼浦の砂浜でクマの足跡が見つかり、無人カメラで林を歩くクマの姿が撮影されれる。クマは捕獲されず姿を見せなくなる。

現在は、利尻島にはクマは生息していない、というように考えられています。

利尻町郷土資料館の後、観光バスは鴛泊(おしどまり)港に着きました。ペシ岬が見えます。

なにか食べたい気持ちもありましたが、スマホの充電しなくちゃ! 寒かったので、フェリーターミナル2階のPORTO COFFEEのあたたかいカフェラテに癒されました。

慌ただしく一日で礼文島と利尻島の観光をしましたが、次回来るときはゆっくりと滞在して、トレッキングなども楽しみたいと思います。

道北の日本海には、礼文島と利尻島の他、絶滅危惧種のオロロン鳥、ウトウも生息している、海鳥の島として知られている天売(てうり)島と、天然記念物の常緑樹イチイの天然林が広がる焼尻(やきしり)島もあります。

ABOUTこの記事をかいた人

著者。特許翻訳者。ユダヤ人富豪の義父に学び、自らも7億円の不動産資産を築いた不動産投資家という顔も持つ。 東京都出身。外資系メーカー、シティバンク勤務を経て、イスラエル国籍のユダヤ人と結婚。子ども二人に恵まれるも離婚。在宅で翻訳の仕事をフリーランスとしてしながら、シングルマザーとして子ども達を育てた。東欧からの移民の子で、14歳から働き、資産ゼロから財産を築いたユダヤ人の義父からは不動産投資を学び、投資物件(7億円)などの資産を築いた。著書に『ユダヤ人と結婚して20年後にわかった金銀銅の法則50』『ユダヤ人大富豪に学ぶ お金持ちの習慣』『貧困OLから資産6億をつかんだ金持ち母さんの方法』『お金の不安から自由になって幸せな女になる』がある。